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代々木上原という街 歴史

スタッフからのお知らせ・日記

■代々木上原の歴史
「代々木上原」とは東京都渋谷区の西部にある一地区。
現在の地名でいうと、概ね上原一丁目〜三丁目の他に、元代々木町・西原一丁目〜三丁目・大山町の一部を含めた一帯を指します。
歴史的には旧代々木村に所属し、その中央部から西部にかけての地域。上原とは代々木村から見て高台の平坦地だから「上の原」(うえっぱら)と呼ばれたのです。
西原から大山町あたりに「徳川山」という東京都内有数の高級住宅街が 昭和初期に分譲され、これが高級住宅街のきっかけとなります。
代々木上原駅周辺については、今は閑静な高級住宅街ですが、以前は原っぱや牧場だったそうです。
代々木上原という街 歴史の画像2

代々木上原という街 歴史の画像3
今を知る人には信じられないかもしれないが、代々木上原駅のすぐ南を走る井の頭通りに、こんな板壁の家が並んでいた。右の家には、「渋谷区上原一丁目13番」と記されている。
代々木上原という街 歴史の画像1
現在の代々木上原駅南口駅前「音楽村通り」商店街を 井の頭通り方面 より撮影 。

昭和32年の代々木上原の大勝軒です。
代々木上原という街 歴史の画像4

■大山町の由来と今
明治初期の頃、農園として所有していたのが維新の三傑として有名な木戸孝允(桂小五郎)でした。
明治22年(1889年)、市制町村制により代々幡村大字代々木字大山に住所変更。
その後、青木周蔵から鈴木善助と所有者が代わり、鈴木善助が大正2年(1913年)一部を和風庭園を主とした 当時の遊覧施設「大山園」を造り開放しました。
それが地名「大山」として記憶されるきっかけになっています。

■住宅地としての魅力
渋谷区でも有数の「お屋敷街」として知られる代々木上原駅周辺。
明治時代は牧場や農村の広がるのどかなエリアだったといいますが、大正時代から宅地化が始まりました。
きっかけとなったのは大正12年(1923年)関東大震災で、多くの街が被災した中、代々木上原は淀橋台という高台にあったことで被害が少なく、その安全性が注目されました。
昭和2年(1927年)に小田急線が開通したことも後押しとなって徐々に住宅街が広がり、現在の西原から大山町にかけての「徳川山」と呼ばれる高台では不動産の分譲が始まります。
そして、現在は多くの財界人の邸宅が建ち並ぶ高級住宅地が形成されました。
特に大山町周辺は高級物件が並ぶ格式の高い住宅地としてあこがれの街となっています。

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